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RYODEN PEOPLE

半導体部門 西 智広(にし ともひろ)

挑戦と成長。
その先にいるのは新しい自分だ。

  • 2002年度入社
  • 外国語学部国際文化学科出身
  • 就職活動当時、とにかく商社の営業職を希望
  • 学生時代は小学生の頃から続けてきたサッカーに夢中でした。いつの日か大学で学んだアフリカの言語であるスワヒリ語を仕事に活かしてみたいですね。
  • 1
    夢に向かってトライし続けてきた。必ず実現する事を信じて
    ふたつの夢が西にはあった。ひとつは教職に就く事。もうひとつは海外で働く事。外国語学部でアフリカの言語や文化を学んでいた西が教え導こうとしていたのは、意外にも数学。そのために中学塾で数学講師のアルバイトに励んでいたのだという。
    「“2000年までに!”と自らリミットを設けて教師の採用試験にトライしていたんです。その分、通常よりも長く大学に在籍していた訳ですが。けれども残念ながら想いは実を結ばす、海外で活躍できる商社の営業職という道を選択したのです」
    就職活動では可能な限り会社説明会に足を運んだ。その数は約30社にもおよぶ。商社を中心に食品メーカー、不動産など、少しでも興味を持った企業の説明会に参加したのだと語る。
    「“いろいろな企業を幅広く見て回ったほうがいいい”と人事課に勤める兄がアドバイスしてくれたんですよ。目標はあくまでも商社でしたが、社会勉強の意味で説明会に参加していましたね。実際に選考まで進んだのは10社ほどでした」と就活当時を懐かしむ。
    選考面接では、どの企業でも「これまで自分が描いてきた夢に向かって挑戦し続けてきたことを熱っぽくアピールしてきた」と語る西。その熱さをどこよりも真正面から受け止めてくれた企業。それが菱電商事だった。
  • 2
    入社4年目にして憧れの海外へ。妻の励ましが胸に響いた
    配属先は、広島支社産業デバイス課。文系出身だからという気後れはなかった。半導体商社だから、技術営業だからという気負いも特になかったと西は語る。
    「仕事に対しては、ざっくりとしたイメージしか持っていなかったですね。どんな仕事を担当するのかわからないけれど、とにかく飛び込んで経験してみようと」
    担当したのは、自動車を組み立てる際に必要なボルトやナット、アルミダイカスト製の部品。半導体や電子部品とはまったく無縁のアナログな製品だった。顧客は大手自動車メーカーだ。
    「自動車部品の中でも、外側から見えない製品ばかり。シートやダッシュボードの内側に使用するボルトやナットなど、一般の方に説明しづらいものでしたね。でも、自分的には満足でした。誰も知らない、けれどもなくてはならない製品に関われることが誇りでした」
    その約3年後、西に一大転機が訪れる。海外語学研修制度の研修生として上海に1年間滞在する事になったのだ。
    「研修とはいえ、入社4年目にして憧れていた海外へ。うれしかったですね。しかし、内心複雑でした。当時、結婚したばかりで妻を残して1年間上海で過ごすことにためらいがありました。けれども『頑張ってきて』という妻の励ましの言葉が背中を押してくれましたね」と目を細めながらしみじみと西は語った。
  • 3
    すべての経験が結ばれ、今の自分を形成している
    上海では、最初の半年間は現地の大学で中国語の学習、残りの半年間は、語学の勉強を続けながら上海事務所に勤務して現地スタッフの営業サポートに従事した。現地の空気を、グローバリズムを自らの肌で感じ、理解することが目的の研修だったという。
    そして現在、東京本社の産業デバイス事業本部企画グループに所属。全国の支社データを収集し、支社間で展開している業務を有機的に連携させていく企画・マーケティング業務に携わっている。
    「広い視野で業務を全社的に見渡せるのがこの仕事の魅力です。1年間という短い海外経験でしたが、そこで培った視野の拡大と思考力の深さが非常に役立っていますね。企画というところで今、新商材の発掘にも着手しているのですが、広島支社時代に関わってきた自動車部品の知識が存分に活きています。その時は無我夢中でやってきた事が、後になって必ず違った形で返ってくる。これまでの経験が何より力になるという事を実感しています」
    夢に向かってチャレンジし続けた学生時代。そして、広島支社での3年間。さらに、上海での1年間。そこで得られてきたものが、今ひとつひとつ線でつながり大きな絵が描かれていく。自ら企画した新商材を携えてグローバルに活躍する日をめざして、西のさらなる挑戦と成長はこれからも続いていく。

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